青い魚と月の石

心臓で青い熱帯魚を飼っている

熱帯魚は一定の寿命で死に、青い花へとかたちを変え、ゆるやかに朽ちる
その後 血と肉に吸収され、またそこからちいさな青い魚として再生する

彼女はわたしのかなしみやよろこびを理解する能力を持ち合わせていない
ただ、それらをひとつの"感情の波紋"として感じとっている
憂愁も歓喜もすべて、冷えた雨が壊す湖の水面のような、感情の波紋。

踊る水の中でわたしのちいさな魚はきもちよさそうにうっとりと舞う
うつくしい長い尾をひやひやと揺らめかせながら。感情が存在しているしるしを隅々まで舐めとるように。

これは明らかに幻想だし、あたまではきちんとわかっているけれど、それでもわたしは心臓で青い熱帯魚を飼っているのだとおもう
ずっとずっとむかしから。生まれる前から。
だからわたしは水の気配を感じる場所にとてつもなく惹かれてしまうのかもしれない
前世からの記憶

ーー

だいすきな最高の男のひとがいる
わたしたちは会うたびに毎回、太陽が高く高く昇る時刻から青い夕暮れがとっぷりとした夜を連れてくるまで歩きつづける
彼はわたしを"思春期前の天使"だと褒めてくれ、うつくしい顔をして、古い国の映画のような優雅な仕種で煙草を吸い、お酒を飲み、たくさんの本を読む

彼の左側を歩きながら、なんてきれいなんだろうといつもおもう
月の滴できた透明な宝石のようなひとだ、とも。

ずっと、なんてものがこの星には存在しないことをわたしは知っている
もうすっかりおとなになってしまったから。
それでもわたしの中では青い熱帯魚がたしかに息をしていて、ちいさな恋がたしかに生きている

うつくしい感情の原石に指が触れるたび、幸福でくるしくて、いつだって幼いこどものように声をあげて泣きたくなってしまう

ーー

幸福を知るたび、胸が裂けそうになるのはどうしてだろう
どうしてかなしみとよろこびに伴う痛みはこんなにも似ているのだろう
心臓が熱くなるたび、左胸にすむ魚がうれしそうに跳ねる

裂けたかすかな傷口から血がにじみ、そしてわたしは青い涙を流すのだ
くりかえし幸福な涙を流すのだ