前夜

東京はほんとうによいところだけどすきかと尋ねられたらわからないし、かと言ってじゃあ地元がすきなのと言われても答えは同じで、すきかきらいかという以前に考えをすべて排除して安心したおもいで自分のからだをほうり投げられる点のような空間をわたしはせかいに見出そうとしている

花嫁

恋愛は自分に恋をすることができるひとだけに与えられた特権なのかもしれない

夜、安楽死のようにおだやかなやさしい狂気に満ちた映画を観た
静かな気持ちで霧雨に打たれて帰った

書かれたもの

ひとの気持ちは手で触れられないから だからちゃんと目に見えるように形あるものに置きかえたり手紙をかいたりするのだろう
誰かが誰かのために贈りものを選んだり 紙に一文字一文字想いを落としたり それに込められた心や費やした時間に触れるたび心臓がふるえる わたしの愛はまだしんでいなかった

ひと匙

夜空はばら色

4月19日

閉鎖病棟に入院している祖母の様態がよくないという連絡があり、つぎの土曜日に日帰りで帰省して会いにゆくことにした

「生まれつきの精神障害」とどんな病院でも手に負えずにたらいまわしにされて、きらわれて、近所のひとたちからも気狂いあつかいされていた彼女をわたしだってずっとずっとこころから憎んでいたし、
彼女のせいで泣いてるお母さんも病院に通わなきゃいけなくなったお父さんも、毎日ひびく怒鳴り声も食器の割れる音も泣き叫ぶ歪んだかおも警察のひとたちの冷たい目も ぜんぶぜんぶ嫌でぜんぶぜんぶ消えてしまえと思っていた
耳をふさぎながら薄っぺらい毛布にくるまって毎日泣きながら眠った

わたしたちは幸福な家族にはなれなかったけど、ちゃんとあのひとには幸せになってから消灯時間を迎えてほしい
愛されずに生きて、愛された記憶がないまま歪んだ愛情を求めて、だれからも憎まれて、きっと今まで一度もこころから幸せだったことがないひとだから

今何もかも忘れて すべての棘が剥がれ落ちたおばあちゃんは生まれたてのあかちゃんみたいだ
やわらかな白い華奢なからだも ふわふわの髪も ぜんぶが尊いよ

今までほんとうにいろんなことがあった
きょう閉店後お皿を洗いながら今までのできごとがぼんやりと思い出された
あんなにくるしくてこわかった毎日なのに、ころすかころされるかの毎日だったはずなのに、思うのはやわらかいきもちだけで、かなしくて愛おしくてはたはたと涙がシンクにこぼれた
おばあちゃんはきっと誰よりもかわいい天使になれるとおもう

こうして死を覚悟できる時間を与えられることはほんとうにありがたいことだ
わたしが今できることは、きちんと生を受けとめること

わたしの一番最初につくった『夜と君の魔法』の「ゴーストの一日」という詩は、おばあちゃんを思ってかきました
どうか、どうか、幸せになってほしい
わたしおばあちゃんの笑ったかおがだいすきだった

真夜中遊園地

かなしいとき目を閉じると深い夜に建つちいさなひとつの観覧車が見える ゴンドラのはなつ七色のひかりに向かってわたしはゆらゆら歩いてゆく
ひとは灯りのある場所でしかいきられなくて その灯りは闇の中でしかかがやけない わたしはそれを思い出したくていつも目を閉じる

夜のとびら

夜の足音 シャツにしみたいちごの赤 部屋に散らばる無数のビーズ
どんなものにもきみは住んでいたね
まばたきの度にこぼれていく記憶にすこしだけ安心しながら夜道にひとつひとつ思い出を置いてった
盛大な夜のひかりの中 かみさまのフェルトにくるまれたわたしはただの雫するちっぽけな星だった かなしくてかわいいぴかぴかのひと粒の星だった

別れ

涙で育ててる一輪の花がある

ひびわれ

すきなひとの眠る姿を見るのがこわい、と彼女がよく言っていたのを憶えている
まるでしんでしまったようで、ひとりまっくらやみに取り残されたようなきもちになる と

からだはたましいをいれるための器なのに、その消滅をひとはこんなにもおそれている

この星ではこのやわらかい乗り物でしか行けない場所ばかり
たましいだけではわたし どこにも行けなかった

果ての向こう

宇宙の草原のなかに ひとり落っことされて どこへでも行っていいよと言われるけど右も左もわからないようなかんじ
自由でいるための不自由さを 静かに考えてる

道しるべ

すきなひとに会うと じぶんはこのひとから生まれてきたんじゃないか とおもう
黄色い花の咲くいちめんの野原で 転がり出るように生まれた、わたしはあなたから、確かに
目を閉じることで見えるせかいが 今ここにある 感じて

呼吸

陽のひかりがひどくにがてな人生だったけど、この歳になってやっと少しだけひなたぼっこができるようになった

青い箱庭に住みたい、透けるほど薄くて深い青色の部屋に わたしのすきなものだけうんと詰めこんで 雨音のとなり すきなだけ夜空に星を描きたい

消えたエイプリルはずっと来ない
こころの やわらかいほんとうの部分だけを切り取って差し出すことが これからのわたしにはひつよう

手をふる

受けいれられなかったことがふいにするんと共鳴したり 傷痕がぴかぴか陽に反射したり、老いがもたらすことはよいことばかりで、からだが腐ってゆく代わりに こころは日々正しくやわらかに熟れてゆく

からだとこころを幾重にも覆っていた棘が するすると溶けているようにおもう
痛みに鈍くなるのではなくて、かなしみの向こうからはみだしてくるひかりを全身で受けとめること
わたしはもっともっと この星での旅行をたのしみたい

21時

ほたるのひかりが流れたので おうちに帰らなきゃいけない
ここはあなたのいるべき場所ではないよ、という静かなサイレンの音に合わせてくちずさむメロディ
音、どんどん大きくなる

みんなちゃんと帰る場所があって それぞれにスイッチを押してきちんと今日を終わらせるのであって
知らないうちについた見えない場所の傷から流れ出たものがなんだかわからないまま 薄っぺらなタオルで隠そうとしても

ひかりはこぼれ落ちる
ひかりはこぼれ落ちる

出口が見つからないまま踏み出した左足
暗闇で手を伸ばして触れたものが きみのこころだったらよかった